平安時代から、六郷山の法燈を守り神仏習合の原風景を今に残す古刹です。
江戸時代に造られ衆生鬼会(しゅじょうおにえ)が行われていた講堂が今も残っています。
約200の石段の上には許多社(六所権現)がお祀りされています。西方寺地区の鎮守であります。
天台宗 西方山 清浄光寺
御本尊 阿弥陀如来
開基 養老2年 仁聞菩薩による
宇佐神宮六郷満山霊場 16番札所
riyo takadaさん制作のYouTube動画です
本堂庭の地蔵菩薩は明治19年、宝篋印塔は明治20年の建立と刻まれています。小さな西方寺村で続けざまに、こんな大きな石塔をよく建てたものだと思います。しかも宝篋印塔は大乗妙典の一字一石塔となっており当時の人々の信仰の深さが偲ばれます。又地蔵菩薩の背には戦争中の機銃掃射による弾痕があると云われ良く見ればなるほどと思われる痕があります。
銘文
昭和三十七年十二月
西方山清浄光寺
中興第十二世住職
上園澄尊
鋳匠 京都 岩澤徹誠
戦時徴用で供出した先代の梵鐘に替わり昭和37年京都の工房で造られた。重さは約600kgであり、設置の際は国東から西方寺まで車で運び西方寺青年団が中心となりお寺に運び上げたという。
過去の清浄光寺・・工事中
明治30年清浄光境内図
清浄光寺の創立由緒や瓦ぶきの本堂に、茅葺?の庫裡、庫裡の裏には土蔵と長屋それに浴室が確認できる。また小学校もあり興味深い。
大正時代の清浄光寺
上図の境内図を裏付けする写真といえる。
昭和35年3月
集団峰入りの様子(明治以降途絶えていた集団峰入りが復活した時の写真)
昭和47年(1972)
本堂の庭には二本の松の大木を確認、外壁の損傷が著しい。
昭和58年(1978)
外壁の白壁がきれいに修復されいる。
地蔵菩薩の錫杖も新しくなり頭には笠を頂いている。
平成元年(1989)
清浄光寺参道を行く巡礼者の列 (平成元年6月9日大分合同新聞掲載)
平成28年の清浄光寺
平成29年4月外壁改修後の六郷山行者峰入り風景
令和4年の清浄光寺
令和5年の清浄光寺