許波多社(こばたしゃ)は六所権現(ろくしょごんげん)をお祀りしている清浄光寺の鎮守社です。
明治の神仏分離により神仏習合による神社名は改称させられこの六所権現は許波多社となりました。(どうして許波多社かは想像ですが西方寺には京都から下向した人が住んでいた云われる京来下という所があり昔から京都の許波多社との関係があったのではないかと思っています。)
権現とは日本の神です。六所とは通説では二所の比売大神、神功皇后と四所の若宮(隼総皇子、大葉皇子、小葉皇子、雌島皇子)の六神とあります。
六所権現とは上記の六神を祀る神社の総称ということになります。
六郷山寺院の多くが六所権現を鎮守としていますが六所権現には本山はありません。

参考文献
・大分県国東市国見町史
・中野幡能. (1974). 古代国東文化の謎 : 宇佐神道と国東文化. 新人物往来社.

許波多社 神門・拝殿

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一の鳥居

一の鳥居
扁額は 六所宮
柱の銘文は 風鳴雲外鐘 鶴宿千年松
かぜはなるうんがいのかね つるはやどるせんねんのまつ
風は遥か遠くへ鐘の音を届け 鶴は千年の老松に宿る。
鐘の音は平穏を鶴と松は長寿を表す。中国唐代の詩ですが自己流読みと解釈をしてみました。鳥居ですがお寺の雰囲気があり好きな鳥居です。 

講堂

講堂
講堂とは経典の講義や説教をするお堂のことです。清浄光寺の講堂は嘉永3年の火災で焼失の記録があり、嘉永6年再建されたと思われます。棟柱には嘉永6年六郷山峰入りの墨書がありこれが江戸時代最後の峰入りとなりました。以後集団峰入りは神仏分離等で中断され約100年後昭和34年の復活を待たねばなりませんでした。また衆生鬼会はで正月の5日に此処で大正の時代まで行われていたそうです。この講堂は国見町で唯一残った最後の講堂です。また、昭和59年には屋根替えが行われ瓦葺となりました。

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